モノレールに乗って南米に行ってきます。

 

うちなー的沖縄
モノレールに乗って南米に行ってきます。
8月11日の沖縄県内紙には、「沖縄都市モノレール開業」という大見出しが踊った。計画立案から30年の実現であった。それまでの大量輸送交通機関といえばバスだけだったのが、それがモノレールが加わることによって、大きな節目を迎えたことになる。車社会である沖縄では慢性的な交通渋滞ということもあって、バスの時刻表は有名無実化し、いつ来るかわからないバスに苛立ったり、あるいは時刻表よりも早く発車して去っていくバスに罵声を浴びせたりと、なかなか辛い面も多く見られた。大手四社のバス会社があるのだが、なかには放漫経営や一部経営者だけが利益をむさぼったりということに加えて、過当競走もみられ乗客本位ではなかったように思える。こういうなかでのモノレールである。人は 新しいものに目がいくのは当然のことで、バス会社も真剣に会社運営をしなければ、たちまちにして見捨てられていく運命にある、と、いうことで今回はかなり辛口でスタートするのだか、ここらあたりでギアチェンジをしよう。モノレールに話を戻す。なにしろ初めてである。羽田空港から浜松町までのモノレールは乗ったことがあっても、やたらと郷土愛の強い沖縄にあるからして、たちまちにしてアイドルになる要素はかなりあるとみた。自分の住む街を高いところから眺めるわけだから、いよいよ興奮もしてくる。開業当時は、夏休みということもあって家族連れと通勤者が同じ車両に乗り込んでいたり。家族連れであるから、おじぃ・おばぁも当然ながら乗っている。おじぃもおばぁも「はっさ、はっさ。走っている、走っている」と校風の面もちで車窓から目を凝らす。やはり、という感じでエピソードが飛び込んできた。バス感覚で、「次降ります」のための社内ブサーを探している人、あるいは実際に手で壁をまさぐっていたなどなど。バスと違ってステップがないバリアフリーなのだか、乗り込むタイミングがうまくつかめないおばぁなども。果たして右足からなのか、それとも左足から一歩を踏み出すのか。究極の混乱は自動改札口であった。なにしろこれも初めて出現した代物である。知っている人からすれば当たり前の話なのだが、まずは切符発売機に並んで行き先に応じて料金を入れて買うのだが、これを勝手に省略するものあり。いきなり自動改札口にコインを入れて機械を止めた人もいたらしいのである。