行き行きて大阪、冬の陣・夏の陣。

 

うちなー的沖縄

行き行きて大阪、冬の陣・夏の陣。
親しい友人がいる。職場では同僚でもあるし、そもそも同じ日に就職辞令をもらった仲である。それ以上に個人的にも家族付き合いをしていて、お互いの家を行き来している。彼は力持ちで優しい。
 力持ちというくらいだから、筋肉隆々とまではいかないまでも、少なくとも腕などは太くてたくましい。沈着冷静な男で、いつでもどっしりと落ち着いている。落ち着きすぎるきらいもあるが、それはそれで欠点ではなく、むしろ彼のプラス面であろう。周囲からの信頼感はすこぶる高い。
 その彼が、昨年の夏、ソワソワしていて妙に落ち着かなかったりなんと息子が夏の全国高校野球大会で甲子園にレギュラーとして出場した。そう、あの「月に向かって打つ」打法やら、左利き捕手・三塁手を擁し、これまでのセオリーを頭から無視して世間を圧倒言わしめたチームの一員として。水島新司が描く「ドカベン」の世界から抜け出してきたかのような超個性派集団だった。
「息子たちのチームは、県予選ではけっこう、いいところまで勝ち進むかも」と、やや期待を込めて語っていた。ベスト8くらいのところで、首を約7度ほど傾けて「そろそろ負けるのかなと思ったのだが」と、不思議がっていた。これがベスト4に勝ち進むと、首を15度くらい傾けて、やや身体のバランスを失っていた。こうなると、勢いは山本リンダ状態でどうにもとまらない。とうとう県予選の決勝まで「まさか、まさか」で駒を進めた。頂点までは残り一つ。まさかの甲子園は目の前だった。人間、不思議なもので、一等宝くじに当たってしまった時のセリフ同様に、「どうしよう」という心理になるものらしい。
 そしてめでたくもまさかの県代表を勝ちとってしまった。相手校の名将たる栽監督以上に、沖縄中が呆気にとられてしまった。
 この子は幼い頃から知っていた。幼いどころか世に出てくる前から知っていた。父親とはそれくらいに長い付き合いである。高校一年生のときは、丸坊主頭に「勝」という字を浮き立たせて、一年後、二年後に備えてスタンドからメガホンを持っての応援専門の野球部員であった。体格的に恵まれていたわけではなかった分だけ努力したことだろう