白黒テレビにはカラー放送は映りません。-2

 

うちなー的沖縄

白黒テレビにはカラー放送は映りません。-2

沖縄は何度か通貨の切り替えを経験している。旧日本円からA円あるいはB円という沖縄限定の軍票だったのが、ドルに変わった。それから日本円という変遷がある。B円からドルへの変化は単位そのものが計算しやすかったが、ドルから円が大変であった。もともとUSドルと日本円との関係は固定相場であったが、「復帰」を目前にしていきなり変動相場になったものだから混乱に拍車をかけていた。とにかく貨幣価値が日々変わるというのは疲れるというものだ。
学生時代から就職していた頃にかけて、よく石垣島へ遊びに行った。石垣島を拠点に八重山の島々には中学生の頃から何度も足を運んでだ。石垣島には父の知り合いがいて、そこに泊めてもらっていた。そこは石垣邸ユースホテルということで、実に居心地のいい場所であった。そこの娘や娘たちとも仲がよくて、そのこともあってかユースホテルの会員というよりも特別会員の扱いであった。翌朝の朝食用の食材を冷蔵庫から持ち出して酒の肴にしたことがある。そこの娘も一緒だったから始末が悪い。朝食を準備するために冷蔵庫を開けたらいきなり空っぽであるから、ユースホテルを運営するおばさんは大変だったと思う。酒の味は石垣で覚えたようなものだ。ひんぱんに通っていると多くの友人ができた。その中に市長さんの息子もいた。二人で美崎町という飲食街にも顔を出すようになっていた。だが、自由になる小遣いは少ない。そこで市長のキープを狙って息子と二人で深夜徘徊していた。
政治かたるもの、あきれるくらい方々にキープしている。それを気づかれないように少しずつ、一杯だけずつ二人で飲んで歩く。
なにしろ、何か特別の用事があるわけでもなく日がな一日を過ごしてブラブラしているものだから暇を持て余している。新聞も隅々まで読みまくることになる。「出船入船」、「死亡広告」など重箱の隅々を突くようにして新聞に見入る。
八重山の新聞で思い出すのだが、本当に地元紙という感じで楽しい記事が多かったその中で、「アルバイト求めています」という広告記事が印象として残っている。会社側とかの求人広告ではなく、どこか仕事ありませんか、私に仕事させてください、という求職広告であった。なんだか牧歌的でさえあった。
石垣島にもオキナワから沖縄へという時代の変化が押し寄せていた。
「復帰」前のテレビはNHKしかなく民放はまったくなかった。そのNHKも当時は日本放送協会ではなく、沖縄放送協会であった。OHKと総称していた。電波を島から島へと飛ばすマイクロウェーブがなく、飛行機で番組テープが那覇から運ばれていた。沖縄島までは鹿児島から島々を経由して同時に見られた。ということもあって、八重山や宮古では、「おはようございます。朝のNHKニュースです」は夕方の番組であった。大晦日の「紅白歌合戦」は都合により正月番組となる。
もちろんのこと、カラー放送ではなく白黒の時代である。それが八重山でもカラー放送時代を迎えることになった。そこで新聞にOHKから奇妙な新聞広告がでた。
奇妙な刻刻とは、「お手持ちの白黒テレビにはカラー放送は映りません。買い替える必要がありますのでご理解ください」というようなものであった。きっと「私の家のテレビはカラーが映らないという苦情が押し寄せたに違いない。そこで慌てて広告を出したのではないだろうか。