那覇には花道のある映画館があった。-2

 

うちなー的沖縄

那覇には花道のある映画館があった。-2

友人や家族で行く楽しみもあったが、小学校でも映画見学というのがあった。学年、あるいは学校まるごと映画館に向かうのである。思い出すのは中学校の時の映画見学である。タイトルは「奏の始皇帝」。通っていた中学校はマンモス校で、ひとつの映画館には収まらなかった。そこで、隣り合わせの2か所の映画館ということになった。沖映とニュー沖映である。この2つの映画館、もともとはひとつだったもだが、ある事情があって壁でもって仕切られていた。われわれはニュー沖映組である。ところがである。われわれの側は、なんとストリップ劇場を兼ねた映画館であった。
映画館には独特の間がある。始まる前のどよめきとでも言ようか。歴史の勉強の一環としての映画見学であったが、大きなどよめきが起こった。超思春期の中学生には、この学生には、この劇場は刺激が強すぎた。同級生に一人が、いつのまにか、スルスルという感じで花道に登ったのである。花道、ストリップ。あとは悪戯まっしぐらしかない。どこで覚えてきたのか、同級生はストリッパーの仕草で踊りだしてしまった。教師たちは「馬鹿っ、止めろっー、降りろー」と怒鳴るのだが、その数十倍ものヤンヤヤンでかき消され、いよいよ踊りに迫真さを増してきた。
ひと騒ぎがあって、やがて映画が上映された。ところが先ほどの大笑いの火種はくすぶっていて、誰かがゲラゲラと思い出し笑いをする。笑いは連鎖し、たちまちにして館内が笑いの伝染病に包まれる。教師は、すかさず「静かにっー!」と注意をするのだが、なにしろ暗い映画館である。誰が大笑いしてるのかさっぱりと見当もつかない。最後まで収拾のつかない映画見学となってしまった。
映画見学の笑いでもうひとつ覚えていることがある。タイトルもしっかりと覚えている。シェークスピアの「オセロ」という映画だった。ムーア人の就軍オセロが死んでいるシーンだった。死んだはずのオセロの腹が呼吸のためにスーハ―スーハ―と動いていた。気付かなければいいのに、必ずやそういうことに気づく奴がいる。
クスクス笑いだし、それに気づいたみんなが笑いだす。悲劇のはずの劇がたちまちにして喜劇と化してしまった。話は「奏での始皇帝」に戻るのだが、あの時の教師たちは、ひょっとして始末書の1枚や2枚は書かされてしまったのではないだろうか。踊った同級生はというと、その時はメーゴ―サー(げんこつ)を喰らっていたのが、長い間にわたって「英雄」としてもてはやされていた。