うちなー的沖縄
乙姫ジェンヌたちと泪の清流。
高校生の頃に宝塚歌劇団をみたことがある。宝塚に親戚がいて、母親に連れられて鹿児島経由で東京へ行く途中、大阪に立ち寄った時のこと。劇場は場違いな感じがするほど華やかな場所だった。なにしろ舞台もそうだが、すべての観客の目が星印になってチカチカしていた。
沖縄の宝塚と称される劇団があった。その名も「乙姫劇団」。肉親を失い、友人も知人も恋人も何もかも奪い去った沖縄戦が集結し、人々は束の間の静寂を取り戻した。「鉄の暴風」とも形容された沖縄戦であったが、生き残ったある人が次のようなことを言った。「戦ヌ如タンヤー」イクサヌグトータンヤーあの戦争はまるで戦争みたいだったね、と。実に泣ける話ではないか。戦争という極限を体験し、それ以上の悲哀さを表現する手段がなかったのだろう。
際限なく砲弾が飛び交い、悲鳴や呻き声が周辺を埋め尽くしたというのが実相であったはずだ。やがて砲弾の音も散発となり、あとはフェードアウト気味に戦火は止んだ。人々は奇妙な空白に襲われはじめた。音がないことに気づき、そして身近にあった芸能をむさぼるように欲した。雨あとの竹の子のように沖縄各地には劇場が誕生した。沖縄を占領した米軍政府も沖縄の芸能を奨励した。