うちなー的沖縄
きみは、沖縄の田芋を食べたか。
東京の女子高校生は、ハンバーガーを頬張りながら「おいしゅうございました」と言うとか。料理評論家で、沖縄出身の岸朝子さんも真っ青である。美味しい料理の食材を文章で伝えるのは難しい。下手に書くとせっかくの品が不味くなることもあるが、私の大好物である田芋について褒めちぎってみる。田芋。沖縄では通常はターンムと呼ばれている。サトイモ科で水田でできる。サトイモの50倍くらい美味しい。芋は収穫されたのち、蒸されて我々が目にする食材となる。様々な料理方法がある。
東京にいる叔母の、土産のリクエストはいつも田芋だった。玄関先で土産を渡すや否や、叔母は、待ちきれないとばかりに袋を引きちぎるような勢いで田芋を手にする、いや、生のままで口にする。日頃は上品な叔母様で通っているのだが、その豹変に驚く。戦前から東京で暮らしている彼女にとって、田芋こそが故郷を思いださせる味だったのである。
友人に名古屋出身の高田和子さんという女性がいる。私は幾つかの本を上梓する機会に恵まれたのだが、最初のきっかけをつってくれたのが彼女だった。いま、彼女は遠くアフリカのガボンという国に結婚のために移り住んでいる。もし、彼女の結婚が家族から反対されるようだったら「うちから嫁に出す」と言ったのは、うちのカミさんだった。とにかくカミさんのお気に入りであった。
彼女と知り合ったのはある船旅で、名古屋から出発してアジア各地を回る三週間の旅だった。船は最後に那覇へ着いた。1987年のことである。彼女を含む数名が「残留孤児」みたいな形で沖縄に残った。しばらくして沖縄の大学に籍を置くようになる。そういう縁で、彼女たちが我が家に出入りするようになった。うちではなんだかんだとパーリーがあった。いつもチ中心的に仕切るのが高田和子であった。
彼女は隅々まで我が家のことを知り尽くしていた。オープナー(栓抜きのこと)ならどこ、予備のお箸はどこ、ついでに小銭の置き場はどこという具合。パーリー終了後も、一枚の食器も間違えることなく元の場所に納める能力を持っていた他の参加者を動かして仕切っていた。そういうことだけではないが、とにかく我が家から嫁に出る勢いがあった。その彼女が出産のために沖縄に戻ってきたとき、まずは食べたいというのが田芋のから揚げだった。
田芋のから揚げは、沖縄料理にあっては、傑作の一品である。揚げたての香ばしさ、サクサクした食感、なんとも言えない舌触り、いかんいかん、ついつい料理番組ふうの印象を書いてしまった。とにかく最高傑作だと思うよ。
割と簡単な料理方法なのだが、シンプルオブベストという感じで実によろしい。田芋の原型は手榴弾みたいな形なのだが、それを小指程度、あるいは5ミリくらいの輪切りにして揚げる。それにサータージョーユ―という、それはそれは独特に味付けされた秘伝のたれへサッと潜らす。それだけである。そもそもサータージョーユ―は、醤油に砂糖を溶かしたもの、本当は実に簡単な代物だ。