古波蔵家の半径45メートルくらいの世界。-2

 

うちなー的沖縄

古波蔵家の半径45メートルくらいの世界。-2

他所からの観光は気付かないようだが、地元の人々の間では隠れた観光スポットになりつつある。ボクが古波蔵家の前を通るたびに「あっ、ここだ、ここだ」とばかりに記念撮影してる人がいる。たいていは中年の仲良しおばさんグループというという感じでやってくる。なかには、「ちょっと覗いてみようかねー」など、好奇心旺盛なウチナーンチュが多い。まるで平良トミおばぁが内にも外にもいるようだ。

ゴーヤーマンニーニーは、実際に石畳を下ったところに位置する中学校を卒業している。漫才の「ガレッジセール」としてデビューし、人気がまだまだの頃は「よく中学校に遊びに来ていた」と、そこの中学校の卒業生(うちの娘のこと)が言っていた。当時から個性的な人物であったらしい。

石畳道は、距離にして約三百メートルで、周辺は湧き水の宝庫でもある。有名な樋川も多い。澄んだ水が多く流れているということは、蛍も多いということである。飛んで光を放っているのはクロイワボタルという種である。毎年、梅雨に入って、しばらくの時期は蛍が幻想的に舞っている。古波蔵家周辺でも乱舞いしている。

蛍は石畳道周辺を自由気儘に行き来している。石畳道には、実は車両通行止めの標識がなく、実際に車が自由気ままに行き来している。ただし、一部だけは階段状になっていて、そこだけはどうにもならない。ところが、琉球有史来、一台だけ突破した車がいた。工事のために階段のすぐ上まで作業出来ていたトラックが、いざ戻ろうとした階段でスリップしてどうにもならない状態になった。ドライバーは焦っていたが、いよいよ事態は悪化するばかりであった。蟻地獄みたいなもので、もがけばもがくほどトラックはずり落ちていくばかりだ。しばらくして、重みに耐えかねてロープが切れ、車は階段を意思に反して駆け下りていた。結果的にせよ、石畳、それも階段を無謀にも走破した車は後にも先にもこの一台だけであったはずだ不名誉な記録である。歴史の積み重ねにも耐えて、というと聞こえがいいが、歴史がある分だけ石の表面はツルツルに滑るやすくなっている。観光客がこけている姿を何度か目撃したことがある。特にカメラを持っている人が危ない。名勝だけに記念に一枚という感じで、ポーズをとる人、写す人がいる。長方形のアングルに人物も石畳道も赤瓦屋根すべて納めるために、ファインダーに目を当てながら前後に移動する。そういう時に事件は起こる。若いお嬢さんが、あられもない格好でこけたりする。

滑り対策が必要である。以前だと、石に二筋ほど切れ目を入れていたらしいのだが風化してしまっている。ボクに家に遊びに来ていた友人が言っていた。「石畳はあくまでも畳であるから、ときどきは表替えをする必要があるのでは」と。

話を「ちゅらさん」に戻すが、ヒロインの古波蔵恵理は家で状態で東京に出るのだが、うちにも家出娘がいる。昔から家出を繰り返していた上の娘は、中学生の頃、「探さないでください」との置手紙を残して消えていった。後で聞いたら、サムソナイトを、それも二つ持って石畳道から引きずったという。行き先は、やはり東京であった。

ところで、古波蔵恵理の恵理だが、沖縄ではけっして「エリー」とは言わない。あくまでも「エーリー」である。これって、きっと、演出者がサザンオールスターズの「いとしのエリー」を意識しているはずよ。