嘉手納のおじさんと嘉手刈のおとぅ。-2

 

うちなー的沖縄

嘉手納のおじさんと嘉手刈のおとぅ。-2

「これ豆腐。東京にもありますか」

と、おじいさん。それまでの座は扇風機状態であったが、いきなり瞬間冷房状態に変わったと思われる。おじいさんの価値観だと、豆腐は沖縄固有のものであるとの確信があった。ひょっとしておじさんは、シシ(肉)カマブク(蒲鉾)というヤマシロの単語が思い浮かばなかったに違いない。そして豆腐という共通の言葉が重なったところで、満を持したかのように声を出したのだろう。

話は変わっても、とはいってもほとんど変わらない話を。

那覇の国際道りのど真ん中に沖縄三越がある。沖縄を訪れる観光客で、三越」があることに意外だと驚く人もいるが、香港にもシンガポールにもハワイにもあるわけだから、それほど驚くことではない。逆に東京に三越があったと驚く沖縄の人もいる。

さきほどは嘉手納のおじさんの話だったが、今度は嘉手刈のおとぅの話。つまりは嘉手刈林昌さんのことについて。知る人ぞ知る、知らない人も知っているくらいに沖縄島唄界の最長老なのだが、この方の逸話は沖縄の夜空の星の数ほど多い。

東京での公演があって・その合間をみて散策としゃれた。「そうか、ここが東海道五十三次で有名な日本橋か」と思ったかどうかはわからないが、沖縄のスーパースターはとにもかくにも日本橋界隈に立った。

見上げるばかりのビル、ビル、ビル。東京に空がないと言ったかどうかは別にして、はじめてみる雲をつくような東京に嘉手刈林昌は感心した。しばらくの間、スーパースターの目はゆっくりとパーンを繰り返した。

「んっ」と、そのときある建物に釘付けになった。

嘉手刈林昌いわく、「うちなーヌ三越ン立派ヤッサー」と。これでは解らないので、直訳してみる。「沖縄三越は立派だ、偉い!」と言ったのだ。これまではますます解らないので、心象風景を文字に表してみる。

<沖縄にある三越は立派だ。頑張って東京にまで支店を出して>ということになる。つまり彼は、沖縄の三越が本店で、日本橋の三越本店を支店だと勘違いしたのである。

偉大なる、そして立派な勘違いではないか。