THE HUHATU-DAN。-2

 

うちなー的沖縄

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「不発弾2題。 その2」

首里の竜潭で不発弾が発見された。首里城跡に琉球大学があった頃である。相当の大型爆弾らしく、かなりの広範囲で避難しなければならない。この不発弾、ひょっとしたらOさんが関係している可能性がある。竜潭と聞いて思い出したのだ。首里城近くの琉大男子寮(現沖縄県立芸術大学)があった場所に元々は沖縄師範学校があり、そこは旧日本軍の第三十二司令部が設置されていた。その関係で、ここら辺り一帯は米軍の砲弾が雨あられの如く降り注がれたところだ。当然のことながら不発弾も多かったことだろう。市役所の先輩あるOさんの自宅は竜潭のすぐ近くである。子供の頃、池の近くにあった不発弾を何名かで転がして水に沈めた記憶があるという。子ども心にも水の中だと安全と考えたのだろう。きっとその時の不発弾だったのではないだろうか。

不発弾処理は、自衛隊の処理班だけが目立ってしまうが、実は市町村職員がその縁の下の力持ちに徹している。チラシ配り、い難誘導のための各家回り、時には土嚢(どのう)積みに加わることも。ボクは琉大女子寮周辺を受け持つことになった。

多分、独身時代の頃だったと思う。なにしろ女子寮である。あこがれの女子寮といっても過言ではない。恐る恐るではなく、どちらかというとワクワクしながら玄関口に立った。ところがこちら側の甘い期待とは裏腹に、ファスナー代わりのボタン式のジーンズ姿で、それに2列に穴がずらりと並んだ太いベルトをした小柄の女性が現れた。「私は寮長ですがあなたは誰の許可を得て寮に入ってきたんですか」ときた。誰の許可って、玄関まで入ってこないと話もできないのに、とついつい口を尖らせて役所言葉でしゃべってしまった記憶がある。不発弾の爆発は人を選ばないのにね。