きみは、沖縄の田芋を食べたか。-2

 

うちなー的沖縄

きみは、沖縄の田芋を食べたか。-2

 

なんやかんや言っても私の好きな田芋料理の調理方法はから揚げなのだが「どぅるわかしー」も捨てがたい。「どぅる」とは「泥」という文字しか思い浮かばない。文字通り、見た目には泥にように見える料理である。また、これが美味しいんだな。ネーミングが土着でよろしい。いろいろな具が入っていて、なんとも不思議な味であり、目を閉じて精一杯の至福感を表しつつ食べる意外に食べ方を知らない。どうして、これほどまれに美味しい料理が、小さな小島で生まれたのか。ところがその上をいく技があった。「どぅる天」と言う。「どぅるわかしー」はもちろんのこと温かいうちに食べた方が美味い。ところが、ある料理人が冷えた「どぅるわかしー」を天ぷらにしてみた。これがすごいのなんのって。この料理、偶然から生まれた料理である。このように料理は進化するのである。

沖縄における米の自給率は2%程度だろう。十年前に3%だったから、おそらく2%くらいだと思う。とにかく水田を見かけなくなってしまった。バリ島の人々が、天井裏の倉へ山のように積まれた米を自慢したがるのは、米さえあれば豊かだということである。それからすると我々は貧しい。

司馬遼太郎が嘆くまでもなく、この国のかたちは貧しい。ひたすら農業を潰してきたからだ。沖縄では乱開発以前に基地でもって農業を破壊してきた。片手間農業のサトウキビが主力になっている。水田にこそ、本来の農業の魂が宿っているように思えるのだが、稲作は、他の農業と違って周辺との協力が必要だ。隣から水が来なければ元も子もない。水田は熟成した共同体がって初めて成り立つ。バリ島では「スバッゥ」という水利組合の鉄則がいまでもいかなる法律をも超えて力を持つ。

田芋は水田で出来る。田芋は単なる商品ではなく、新たなコミュニケーションを広げる。このことが持つ意味は大きい。