沖縄の1日は24時間ではない、らしい。-2

 

うちなー的沖縄

沖縄の1日は24時間ではない、らしい。-2

以前、那覇から鹿児島であるとか阪神方面への定期船の出航が遅れるのは当然のことだった。午後の二時出航だったから、少し早めの時間の一時四十五分頃には家を出るという人もいたにはいた。結婚披露宴に呼ばれて定刻通りに行ったら、他の招待客どころか、主役の新郎新婦さえも未だだという笑い話はそこら中にあふれていた。

沖縄の人間が東京などに行って、定刻通りにホームに入ってくる電車に対して最初はカルチャーショックの洗礼を受けたりする。それは沖縄のバスがあまりにも時間とは無縁の世界だったという事によるかも知れない。バスターミナルの出発時間は守られているのだろうが、後はズタズタ。バス停の時刻表はほとんど意味を持たないという怒りは、おそらくは旅行者の共通した怒りに違いない。原因は慢性的な交通混雑にもよるものだが、どうもそれだけではなさそうだ。

道路事情ということでの遅れなら、両肩をすぼめるような仕草も時には効果的かも知れない。ところが、これはある人から聞いた話なのだが。その人は東京から沖縄に移り住んできている方だったのだが、時間前にバスが発車することだけは許せないと言っていた。それはそうだろう。それが、一時間に一本の路線らしいのだ。思うに、いつも遅れがちなので時には早目にということもあるだろうか。遅く来るバスも困ったものだが、それにもまして早く来て、早く出ていくのも困ったものではある。

ここらあたりで、全沖縄人を代表して釈明をしておかなければならない。「ごめんなさい」でもいいのだが、少し違う話でも。

沖縄の時間概念について語ることで釈明としたい。長いとみるか短いとみるか。

沖縄の人々は、「復帰」前だと、いったんは家に帰ってから酒を飲みに行くというサラリーマンが多かった。狭いながらも楽しい我が家に帰って、シャワーを浴びて(ここは沖縄的に、あくまでもシャワーである)それは一家団欒の夕食を済ませる

子どもたちがテレビの前に坐った頃を見計らうようにして、一家の主は再び出勤態勢を整える。まるでドリフターズのようなセリフで、「宿題しろよ」とか「歯磨きしろよ」などと言い残しつつ出掛ける。那覇だと桜坂か栄町へ、コザだと中の町あたりへ繰り出す。1972年5月15日の「復帰」あたりから様子が変わってくる当時は「本土並み」という言葉が、石ころみたいにそこら中に転がっていた時代だった。「本土並み」であるから、酒の飲み方も自ずと異なってくる。沖縄だからガード下の1杯飲み屋はないが、それでも会社の帰りに飲むようになってきた。沖縄のサラリーマンにとっての「復帰」は、自宅経由ではなくて真っ直ぐ飲み屋に向かうことでもあった。「復帰前はよかったなぁー」という先輩がいる。「遅い出勤」だから、どうしても午前様ということになる。ところで「復帰」後の帰宅時間はどうなったかというと、これが不思議なことに飲み終える時間は同じであったとさ。

インドネシアの時間は伸びるのだが、実は沖縄の時間は長寿県ということになっている。