うちなー的沖縄
沖縄音楽の裏面と表面。-2
ほんとうに訊きたかったのは、「沖縄のひと」の存在であった。ここでレコードについてCD世代やDVD世代のために簡単な説明をする。レコードはA面とB面があり、裏表にレコード針用の溝があって音が出る仕組みになっている。一応はA面がメインとなって発売されるのだが、実に面白いことにA面が売れるとB面も同時に売れることになる。当たり前の話だが、発売枚数は奇跡的に同じ枚数となる。
「沖縄のひと」は326万枚も売れたのである。浜崎あゆみもGLAYも、宇多田ヒカルも安室奈美恵も真っ青な数字である。統治で言うならば、全国の家庭の十所帯で聴かれていたことになるのでは。だが、不思議なことに肝心の「沖縄のひと」を覚えている人がいないのである。実は私も知らないし、おそらく沖縄の人間でもほとんどの人がその存在すら知らないと思われる。幻の「大ヒット」曲ということだ。このA面とB面の関係だが、これは沖縄レコード業界にもあった。手許に数字があるわけでもないが、メイドイン沖縄のレコードで一番のヒット曲はフォーシスターズの「丘の一本松」と大工哲弘の「山崎ぬアブジャーマ」であろう。「丘の一本松」は沖縄芝居のタイトルそのままの曲で芝居同様に大ヒットした。沖縄における高校生たちの文化祭では定番の芝居である。
「山崎ぬアブジャーマ」というのは八重山を代表する民謡で、歌詞の内容は、かなりスケベ―的である。アブジャーマというおじいがいたのだが、このおじいには二人の愛人がいた。周囲からしたら、それではあまりにも不道徳すぎるということで、一人は本妻に、一人は妾にしたという、なんとも羨ましいような決着を図ったことが謡われている。
少し話題をそらすが、この絶倫おじいのことを謡った。「山崎ぬアブジャーマ」だが、私の職場の隣にある開南小学校の運動会では、行進曲としてこの曲が流されていた。教師たちは知ってか知らずか、私のほうが赤面していた。
この「山崎ぬアブジャーマ」はいわゆるB面であった。ということは「丘の一本松」がA面ということになる。A面とB面の関係は複雑である。「山崎ぬアブジャーマ」ではないが、いったい誰が本妻で、誰が妾なのか、あるいは誰が(A)で、誰が(B)なのか、なかなか判断が難しい。
本来だと同じ歌い手がA面とB面で構成しそうなものだが、ここがかつての沖縄音楽界の不思議な部分であった。適当、という言葉はどうかと思うが、しかしテーゲーとしか思えないような組み合わせでもってA面とB面が決まっていたように思う歌い手たちの意思などまったく無視するかのようにレコードが出来上がっていた。
最近では気軽にCDが出せる時代になったが、レコード時代は、それこそ面倒な手順を踏んでの制作だったという。インディーズなどという言葉すらもない時代であった。そういうなかで、無謀にもレコードを、それもシングルではなくLP版を出した友人がいた。和宇慶文雄である。彼は「歌手」という肩書を手に入れた。その彼が渾身の力をいれて製作したLPだが、期待したほどには売れなかった。これは風の噂なのだが、彼の故郷である泡瀬海岸で沖に向かってレコードを投げて遊んでいたという風聞が那覇まで届いた。可哀想に、よっぽど売れなくて、処分に困ったのかレコードを海に投げる気持ちはいかばかり。後日談だが、「んじ、レコード投ぎたんでぃな」(レコード投げ遊びしたって?)」と私が訊いたところ、やはり、「歌手」というプライドがあったのだろうか、問いには答えず、「レコードでぃーしや、ゆー飛ぶんどー(レコードって奴は、実によくとぶものだ)」と言っていた。