うちなー的沖縄
タックルされて死亡。
世界中には、ミニ国家が数多く存在してる。モナコであるとか、ヒリテンシュタイン、ブルネイ、モルジブ、サンマリノとかだ。約二万人くらいだ。人口数からすると、なんだか頼りない感じがしないでもないが、それはそれで意外といいかも。コミュニケーションの面からすると、風通しがよこなるはずだ。国の端っこに居ながらも、Aさんちのおかずは昨晩も豆腐チャンプルーだったとか新婚さんのBさんちは那覇空港離婚どころか、経由地の関空離婚らしいとかなんとなくゴシップが満ちあれていそう。そうなんだ、狭い会社にこそゴシップは相応しい。
それはそれで必ずしも悪いことではなさそうだ。極小ではあるゆえの痛快さもある。
ミニ国家ながらも独立を保ってきた琉球は、全国から遅れること八年、一九七九年(明治十二年)に廃藩置県がなされ沖縄県となった。沖縄戦の後に、二十七年間に及ぶアメリカが君臨する時代があったから、沖縄が日本であった歴史は、差し引くと約九十年。つまり沖縄が四十七分の一の歴史を数えてわずか九十年でしまないというのが面白い。それ以外は異質だったということ。そういうことは、いろいろな場面に「沖縄的」現象が首をもたげてくる。それは、ときには哀しくも、しかし、ほとんどが笑える場面の多い。喜怒哀楽は背中合わせの世界であり、それが「沖縄的」なシーンをしばしば醸し出す。
例えば、言葉など。これは沖縄の人間がヤマトで新聞を広げた途端にびっくりしたケース。新聞には「タックルされて死亡」と見出しが踊っていた。ラグビーは格闘技であり、本来が激しいスポーツののだが、練習中にタックルされて首の骨を折ったのだろうか、死に至ったというものだ。ところが沖縄出身のKさんは違う受け取り方をした。彼女は「タックルされて死亡」したと理解した同じ、「タックルされて死亡」どもこれほど違う。んっ、まったく同じか。
沖縄では相手を叩きのめすことを「タックルスン」と言う。漢字を当てはめると少しはわかりやすくなる。叩き懲らしめる、という具合になる。叩く、打つ殴るという意味だ。この言葉はしばしば問題となることが多い。それは叩き殺すになるからだ。懲らしめると殺すとでは傷害罪か殺人罪の違いがあり、刑法からすれば天と地ほどではないにしろ、相当の違いが生じる。だかr、ラグビーの方は、練習中の事故による「タックルされて死亡」であり、Kさんが勘違いしたのは、懲らしめられて後に死亡の至った「タックルされて死亡」だったのだ。
言葉は文化だと言う。確かにそうだ。沖縄の人間が正確な日本語を話すようになってから、わずか九十年を長いと見るか短いと見るか、実はそこに沖縄の面白さや可能性がゆったりと潜んでいそうな気がする。