うちなー的うちーなー
校歌斉唱!スリサーサー ハーイーヤー
とうとう言おうか、やっとと言おうか、それとも来るべきものがついに来たかとでも言おうか、選抜高校野球の紫紺の優勝旗が沖縄に渡ってきた。いまは飛行機で行き来をする時代だから、どちらかというと渡ってきたというよりは空から降ってきたという感じがしないでもない。
沖縄のチームが甲子園の土を踏んでから41年目だという。沖縄尚学高校が優勝すると予想した人が果たしてどれだけいたことか。まず、「良かった、一勝できて」と沖縄側は喜んだ。次に「また勝てて良かった」と2勝目を率直に喜んだ。もぅ、そろそろ負けるハズよ、という声が出た頃だったがそれでも勝ち残ってた。こうなると欲が出てくるものだ。それでも優勝するかもと予想した沖縄の人は皆無だった。
野球に限らず、決勝戦が最大山場のはずだっだが今回は違った。準決勝のPL学園がピークだった。「沖尚がんばれ!」と声をだしつつ、実は(負けるはずよ)と沖縄中が考えてた節がある。もうここまで来れば立派、という非プレッシャーは大いなる武器であった。
沖縄にもPL教団の教会がある。数年前、たしか沖縄水産高校が暴れまくっていた頃なのだが、PL教団の教会に世にも珍しい懸垂幕が下げられていた。そこには、
「めざせ日本一 PL学園高校」、
「めざせ全国一 沖縄水産高校」
という幕が並んで掲げられていた。これはどのように解釈すればいいのだろうか。ボクは独りで勝手に悩んでいた。両校が仮に決勝戦だろうが一回戦だろうが、ぶつかったときにはどうするのだろうか。果たして日本一と全国一はどちらが強いのだろうか。誰にも相談するわけにはいかなかった。
こうなると「地下鉄はどこから車両を入れるのか」的にさえなってくる。幸いなことに両校があいまみえることはなかったが、それにしてもボクの悩みは解決していない。あれから歳月は流れた。日本一と全国一が頭から離れないでいるところに今回も懸垂幕を見てしまった。ところが今年は、「甲子園出場おめでとうPL学園高校」と「甲子園出場おめでとう 沖縄尚学高校」になっていた。ホッと胸を撫でおろすと同時に、どこか期待はずれで、あめ玉を取りあげられた子どもの心境になっていたものだ。
天王山はやはり対PLであった。勝手に天王山の相手をさせられる高校生も可哀想だが、これは仕方がない、沖縄は一度も勝たないと納まらない運命みたいなものがあった。ただし予想よりは早かったけどね。納まらないというのには、ある複雑な事情があった。
やはり数年前の甲子園でのこと。柔道国際試合並みに、やたらと「教育指導」を連発する高野連は、何と沖縄の応援スタイルを「奇異」と表現して我がエイサーを禁じてしまった。これで柔道で言えば、得意技の間接技を販促技として禁じ手にされたようなものだった。柔道なら「待て!」があるが、ボクは「待てー、待てー」エイサー問題に強い関心と苛立ちを感じたものだ。
高校生らしく、というのが本音のようである。よく比較される広島のしゃもじとかは別の次元である。沖縄は小学生どころか、全国一の就園率を誇る幼稚園や保育園の頃からエイサーに親しんでいる。さすがに高校ともなると体育祭などではやらないが、その代わり、地域でのエイサーは高校生が主体になっているところも多い。エイサー青少年はブインブインブインと暴走行為をしたりする時間も惜しんでエイサーの練習に明け暮れる。実に高校生らしいではないか。
あっ、どうも。優勝した勢いで日頃の鬱積した気持ちを暴露してしまいまして…。とは言うものの、もう少しだけ勢いにお付き合いしていただきたい。