南米うるま園のパラダイス。

 

うちなー的沖縄

南米うるま園のパラダイス。

「南米で豆腐を食べてきます」宣言をしたのが、実際に南米に行ってきた。アメリカ経由でブラジルのサンパウロを経て、アルゼンチンのブエノスアイレスへの飛行は人間の限界を超える長旅であった。南米で食べた豆腐は沖縄の硬いシマ豆腐だったのだが、その話はいずれ書くことにして、垣間見ていたアルゼンチンの沖縄社会について。
それにしても地球というサイズが現在の規模だからいいものの、これが二倍とかだと、きっと南米行きを諦めたに違いない。
アルゼンチンには、およそ二万七千人くらいの日系人が暮らしている。そのうち約一万五千人が沖縄系というから、その数たるや圧倒的である。とは言ってみたものの97%が白人系であり、残りも白人とインディオとの混血が占めていて、日系人を含めてのその他の人種構成比率はほんのわずかということになる。その、ほんのわずかなその他では韓国系が多くを占めている。
日系社会の形成は、95年前の「笠戸丸」による移民が皮切りだったのだが、韓国系はここ30年ほどで一気に増えて、いまでは10万人に達しているという。加えて中国系も増えているというから、日系人は圧倒的に少数派中の少数ということになる。
そういうと何となく沖縄系も沈んでいるかのような印象に受け止められるかも知れないが、決してそうでもない。日系人会館よりも大きな規模を誇っているのが沖縄会館だし、一番に多くの移民を輩出した中城村出身者などは同規模の開館を独自に所有し、その中城村の一集落である久場は、やはり独自の会館を持っていて盛んに活動を続けている。会館を利用しての空手指導なども行われていて、広く活用されている印象を持った。もちろんのこと、センセイは沖縄出身者があたっていた。
アルゼンチンの空手界では、「センパイ」あるいは「コウハイ」などという言葉が生きていた。空手関係者とは随分と会う機会があったのだが、センセイの弟子たちからは、「センセイのコウハイですか」などと質問されたりした。確かに後輩ではあるが、「そうだ」と言うと大変な誤解を与えそうで曖昧にしていた。
ブエノスアイレスの近郊に、「うるま園」という沖縄県人たちのオアシスがある。
いわば県人会館直営の福利厚生施設である。そこへ二日間続けて足を運んでみた。
サッカー場でいえば、おそらくは6面か8面くらいがとれる広さである。実際にそこでは若い世代はサッカーに興じていた。一方ではゲートボールが盛んにおこなわれていた。
ブエノスアイレスやその近郊で暮らす沖縄系の人々が毎週のように集まってくるとのこと。わたしはサッカーをやるわけでもないし、ましてやゲートボールという年齢でもない。そうなると居場所がないのだが、実は違った。あるのである、中年向けの居場所が。広大のうるま園の中央にアサードというアルゼンチン式焼き肉を焼く設備があって、サッカー場とゲートボール場を分けるかのように設置されていた
アサードはアルゼンチンならではの豪快な焼き肉で、バーベキューの一種である。とにかくサイズがジャンボで、二切れくらいで満腹状態になる。それは朝早くから準備してお昼に備えている。