金武で五千食分の沖縄そばを見た。

 

うちなー的沖縄

金武で五千食分の沖縄そばを見た。
さえわたる秋空の下、ここの花の東京は国立代々木競技場における世紀の祭典、東京オリンピックがいままさに華々しく開催されようとしております。第二次世界大戦の廃墟から不死鳥の如く蘇ったニッポン、戦後の闇市時代には国民が肩を寄せ合いながら雨露をしのいだニッポン、奇跡的な経済復興を成し遂げてきたニッポン、嗚呼、ニッポン・チャチャチャ。こんにちは、こんにちは、世界の国から。失礼致しました、この歌は6年後の大阪万博のテーマ曲でした。なにしろ世紀の祭典であり、私ども放送陣の声も上ずり気味でございますが、気を取り直して実況中継を続けてまいります。アー、アー、ただいまマイクのテスト中、本日は晴天なり。いずれにいたしましても、オリンピックの顔の顔、ソレ、トント、トトント。顔と顔の世界中の人々が四年たったら また会いましょうの硬い約束のもと、各国選手団がいま続々と入場行進を続けております。いずれの役員選手団も色鮮やかな民族衣装に身をまとい、にこやかに、まるで三波春夫の笑顔でスタンドの大観衆に手を振りながらの行進が続いています。そして、いよいよニッポン大選手団、一糸乱れぬ入場行進が続いております。
 あれから37年、時代は大きくパーンして那覇の国際通り。
 第3回世界世界のウチナーンチュ大会の前夜祭が国際通りで繰り広げられた。まるでオリンピックの雰囲気で、各国旗を掲げてのパレードがあった。沖縄は貧しかったがゆえに移民県である。「手紙はいいから、まずは金から送れよ」と励まされ、いざ我らが目指すは五大州という掛け声でウチナーンチュは世界各地に渡海していった。移民先での生活はけっして平坦な道ではなく、逆に苦悩の連続であったはずだ。その人々が五年に一度、世界中から沖縄に集う。三世、四世、中には五世も含まれる。永い間、異郷の地で暮らしていても断固としてウチナーぢらーを堅持している人も多いが、日は昇り日は沈み、血は混ざり血は巡り、顔はインターナショナルになっている。しかし、DNAは沖縄そのものだ。