重症急性シブイワタ症候群なんか怖くない。

 

うちなー的沖縄

重症急性シブイワタ症候群なんか怖くない。

世の中には奇妙な病気が流行っている。SARS、いわゆる重症急性呼吸器症候群というらしいのだが、なんとも覚えにくい名称の奇病が世界中を震撼させている。先日、用事があって東京に行ったのだが、かなりの人がマスクをしていた。なに、ついに日本上陸かと思い、生きも止めて街を歩いていたのだが、それは単に花粉症対策であったらしく、少しはホッとした。

ボクは自慢ではないが、これまでの人生で二回ほど、重症急性シブイワタ症候群を患ったことがある。

一度目は中学校の時だった。その頃のボクは野球少年で、来る日も来る日も白球を追いかけ回していた。毎日が規則正しい生活を送っていたのだが、ある日突然、全力の力が抜けて、身の心もフニャフニャになっていた。症状としては激しい腹痛と下痢が続いていた。なんでも、シブイワタということだった。病院に担げ込まれてもおかしくない症状であったが、なぜかしら民間療法でもってチョコチョコと苦い薬らしきものを呑まされただけだった。食事はおかゆに梅干し、それとカチュー湯(鰹節を削って、それに味噌を加えて熱湯を注ぐ汁)だけであった。少年なりにももう少し栄耀のあるもの、つまり美味しいものを食べさせるべきではないかとの不満もあったが、オバァは「少し寝ていたら治るはずよ」と言っていた。そして、腹巻をさせられた。

それまでは病気らしい病気には無縁であった。トラホームで眼帯をしてキャッチボールをするほどだったのが、この奇妙なシブイワタにだけには勝てなかった。あっ、眼帯をしてキャッチボールのことが、片方の目だけではかなり無理があって、距離感がつかめず、結果として開いている片方の目へまともに当たってしまった。眼帯と、ミークルー(目黒)になって目が白黒になってしまい、われながらなんとも情けない顔になっていた。二度目の重症急性シブイワタ症候群はインドネシアのをの州都、デンバサールの安宿で見舞われた。そのときは、中学生のときよりもかなりひどく、鳴呼、ここで死んでいくのかと思えるほど重症中の重症であった。原因ははっきりしていた。生水を飲んだことによるものである。本来、胃腸にはかなりの自信を持っていた。ボクには親父のDNAが流れているはずだという自信と確信があった。父が子どもの頃、屋敷内のシーククワァ―サー(九年母=ヒラミレモン)の木によじ登って、そこに成っている実の全てを食べ尽くすまで、地上には一切降りてこなかったという武勇伝を耳にタコができるまで聴かされていた。