嵐を呼ぶ沖縄の結婚披露宴。-2

 

うちなー的沖縄

嵐を呼ぶ沖縄の結婚披露宴。-2

大雨と強風対策の格好でホテルまで出向いた。こういうとき、革靴なんて愚も骨頂である。そもそも靴下が濡れて気持ち悪い。それなりに相応しい格好というものがある。いわばTOPということ。足元は当然のことながらビーチサンダルが最適である。リュックにスーツとYシャツにネクタイ、それに靴と靴下と祝儀袋の一式を入れて、その上から大きすぎるほどの雨合羽で身を包んだ。以前にバイク通勤をしていた頃は、大雨には常にそのような格好で臨んでいた。着替えのためにホテルのトイレに急いで駆け込む。なんだか制服から私服に着替える女子学生の気分であるし、ジェームスボンドが海から這い上がってきてウエットスーツを脱ぎ捨てスーツ姿に変身する感じで、こういう格好はけっして嫌いではない嫌いどころか、どちらかというと好きの属する。それらしく服装を整えて会場へと入る。それにしても招待された人々は偉いなと関心をする。雨、風をはねのけて会場入りしている。指定させた席に坐ってユンタクしていて妙な話に驚いた。

台風の日の結婚披露宴への出席率は、平素のそれよりも高いのだという。ふーん、そうなのか。意外な感想を持った。「これだけの風が吹いているのだし、ひょっとして誰一人として出席しないのでは。私一人でも出席しなくっちゃー」精神みたいなものが、実は全員の共通認識のようである。それと日常でない、つまりハレの日は大雨や嵐がつきものである。これは沖縄近代史におけるエポック現象でもあるのだ。これまで、ややもすると結婚披露宴は、そこで行われる沖縄的な披露宴芸に目を奪われがちであった。だが、沖縄における結婚披露宴の神髄は、花も嵐も踏み越えて出席する心意気であることに気づいた。

外はあいかわらず嵐が吹いているようだが、会場内は和やかな風が吹いていたなかでも、親父が嫁いでいく愛娘のために自作の歌詞で古典音楽曲を披露した。何しろこの父親の肩書が凄い。「国指定重要無形文化財組踊保持者」メモでもしなければ覚えられないくらいの、いかにもという感じの存在感があった。

心待ちし居たる

果報ことや叶て

今日のよかる日に

結ぶご縁

と、この娘なら目に入れても痛くないだろうなという感じで、祝いの旅立ちを謡いあげていた。このお父さん、きっと式の頃は台風を心配して、「風の声も止まれ、波の声も止まれ」とばかりに心の中では謡っていたはずである。

披露宴が続いていた2時間半の間、台風情報がまったくない。楽しい披露宴ですっかりとシャバのことは忘れていた。宴が終わりホテルを出ると、風が止み、雨も止んでいた。新婦お父君の「風の声も止まれ、波の声も止まれ」の効果があったのかもしれない。

沖縄全域が年初めからの少雨のために、台風襲来を持ち望んでいた節があったから一般的には歓迎された台風であった。再び元の正しい台風服に着替えてホテルの玄関口に立った。うねっ、いつのまに台風は去ったのかと錯覚をした。あれほど吹き荒れていたのだが、ピタっと止んでいる。一瞬だが自分の置かれている立場を失ってしまった。台風の目にはいったのだ。台風の目を見るのは久しぶりのことだ。この日は雲に覆われていたが、いじぇんに見たときには実際に青空がのぞいていたくらいだった。7,8年前に体験した台風の目は、自宅の孟宗竹の先っぽが完全に停止していた。日頃の無風状態でも常に微妙な揺れをしていたのだが、まるで真空状態で止まっていた。台風の目というのはそういうことである。せっかく苦労に苦労を重ねて出席した披露宴であるから、いつものとおりに二次会に出かけた猛者連もいた。この連中は、台風が去ったあとにきっと悲惨な目にあったはずである。ところで玉O淳郎クン、T屋A子さん、御結婚おめでとう。