沖縄の1日は24時間ではない、らしい。

 

うちなー的沖縄

沖縄の1日は24時間ではない、らしい。

インドネシアのバリ島が大好きで、よく出かけている。そこには、常にホームステイをさせてもらっている親しい友人のバリンチュー(バリの人)がいて、空港まで迎えにきてくれることがある。いつものところだろうから、「久しぶりだから空港で迎える」と1秒遅れるくらいの国際電話の向こうが言ってきた。

ところが空港でいくら待っても友人の姿は一向に現れない。時間を間違えたのか、日付そのものが間違ったのか。待てど暮らせどこない。ある程度は慣れているとはいうものの、旅先の空港では不安が募ってくる。おまけに外は飛び跳ねて踊るように元気なスコールである。

話は変わって、バリ島と時差が1時間の沖縄・那覇。

那覇市の市民憲章に「私たちはじかんを守りましょう」というのがある。つまり

市民、あるいは沖縄の人間は時間を守らないから、そのような標語が設けられたのであろう。この「時間を守りましょう」については、筑紫哲也さんが機会あるごとに面白おかしく沖縄の人間を前にして披露する。沖縄の側は、指摘されてはじめてそのことに気付くことになる。人々はやや自嘲気味に笑うしかない。確かにかつては公式の行事でさえ、30分や1時間は遅れたものだ。それを「沖縄タイム」と言う。南国的と言ってしまえば、それだけのことであるが、それにしても悪く言えば時間にはルーズ、よく言えばのんびり、もっとよく言えばおおらか、もっともっとよく言えば自由。

インドネシアには、「ゴム・タイム」というのがある。「沖縄タイム」とほぼ同じような意味を持つている。ゴムは自由自在に伸び縮するというわけだ。たしか彼らは時間を弾力的に運用しているとの感を持つ。突然の雨ならば約束の時間を守る義務はないということを、随分あとになってから知った。バリ島の空港で待ちぼうけを食らわせられたのは雨のせいだった。