宮古島から橋を渡ったら、そこはカリブだった。-2

 

うちなー的沖縄

宮古島から橋を渡ったら、そこはカリブだった。-2

やめたのではなく休止中というのもあったが、ここで一つの法則を発見したのだった。橋が架かると島の豆腐が消える。島の場合は、勇逸の豆腐だったのが橋とともに大量生産の豆腐が渡ってくるのだろう。そういえば、ハワイ・ホノルルのダウンタウンで見かけた豆腐には、たしか「ISLAND TOFU」と表示されていたな。直訳すれば、これはひょっとして「島豆腐」ではないか。ハワイはメインランドと橋でつながってないもんね。

豆腐を訪ねての池間島だったのだが、島そのものが面白かった。橋を渡るとき、左手には風量発電機5基が辺りの風を切り裂くようにブルゾンと回っている姿が見え、左手には大神島がのぞめた。橋の下の海の色は、不自然なほどにプール色だった。おりしも、その日は池間公民館の落成式があって黒塗りの車も来ていたが、やはり主役は島のおじぃ。おばぁ達であった。どなたも着飾って、それはまるでカリブの島々の人々が日曜日の教会に出掛けるような光景だった。カリブ海でわかりにくければ、日曜日の朝、ニューヨークはハーレムの教会一帯と言えば理解しやすいだろうか。おばさんたちは、地味な柄ながらもその日用という感じの糊の効いた服装で会場に向かう。おじさんたちは一様にスーツ姿でマイカーの自転車に乗ってキーキーとブレーキの音をきしませてやって来る。

新装された公民館前には、入りきれない住民のためにテントまで用意されていた。式典がはじまる前から、島のおじぃたちは三々五々にガジュマルの木の下でたむろしていた。とってもいい光景だった。海岸近くで風がよっぽど強いのかガジュマルは柳生博カットみたいに陸地側にたなびいていた。その木陰でおじいたちが坐りこんでの話が続いていた。

落成式典であるから、沖縄、特に島らしくびっしりと余興が続いていた。オープニングは、この世の極楽鳥かと見まがうほどの鮮やかな紅型衣装での踊り。お歳は絶対に80歳近くだったはずだが、ひょっとして超えていたかも。圧巻は男子高校生たちによる「チャイナ・タウン」の踊りだった。サンフランシスコのなんとかかんとかという歌である。このように古い民用曲に振りをつけての踊りというのは島の伝統であるらしく、先輩たちから引き継いでいるとのこと。実に優雅で素晴らしい。彼らは何一つ照れることなく大きなセンスを広げて妙に生々しい腰つきで舞っていたのだが、それを見ていて何だか時間が止まったかのような錯覚を覚えてしまった。