いまや東京にしかいない、沖縄的沖縄顔。-2

 

うちなー的沖縄

いまや東京にしかいない、沖縄的沖縄顔。-2

仮にAさんとよぶ。彼が東京に移り住んで二十数年になる。こつこつ働いて念願のマイホームを手に入れた。並大抵のことではなかったという。それはそうだろう、ゼロからのスタートで、人には言えないほどの苦労は多かったはずだ。(ということを実際に言ってはいた)。言葉一つとってみても、いかに東京という異境に慣れ親しむにに苦労したことやら。数年は気を付けているつもりでも、ついつい沖縄言葉が発せられる。それをやっとの事で克服したわけだ。それはマイホームの夢と並行するようなもので、ついには言葉そのものも獲得したのだった。

その彼だが、言葉そのものは「しちゃって」調で立派な東京弁なのだが、顔つきだけは無修正だった。これだけはどうしようもない。医療保険のきかない形成外科に行ったって、顔の骨格そのものがウチナージラー(沖縄顔)であり、哀しいかな顔の骨格まではかえられないのだ。

言葉、マイホーム、それも仕事もまあまあである。顔つきに少々の不満はあっても幸せであった。ところが不幸は、前触れなくいきなりやってくる。

例の沖縄ブームてやつだ。「復帰」の頃から、ときどき大波でブームが訪れる。あの時は栽監督率いる沖縄水産高校の活躍。あるいは安室の活躍など。沖縄がバンナイバンナイ(バンバン)露出していた。それは苦節二十数年のAさんにとっても嬉しい限りであった。水産の時はテレビの前で久しぶりにヒーヒー小(ぐゎ)(そう

指笛)も吹いてみた。涙もヒーヒー小などで、久しぶりに沖縄ナショナリズムに目覚めたりもした。しかし「俺は東京でしか生きられない男になってしまった」という思いもある。丁度、その頃からだ、おかしくなったのは。ナニ、池澤夏樹が沖縄移住だって。ナニ、宮本亜門が沖縄移住だって。ナニ、澤地久枝が沖縄移住だって

東京人になりたくて努力に努力を重ねてきたのに、どうして東京人達は東京を捨てて沖縄に住むのだ。Aさんの嘆きはしばらくは続く。