てんぷらの匂いと香水の匂いが廊下中に 渋谷の「恋ぶみ横町」であそんだ。

 

うちなー的沖縄

てんぷらの匂いと香水の匂いが廊下中に

渋谷の「恋ぶみ横町」であそんだ。

70年代頃の学生運動華やかしい頃にたびたび集会が行われた宮下公園とJR渋谷駅との中間くらいに横町はあった。一歩足を踏み込んだ途端に、<あっここは昭和初期の映画のセットではないか>と感じたくらいにキマっていた。渋谷という街が

若者以外は歩くことすらはばかれるような、悪く言えばがさつな街だけに、横町は際立っていた。中央の通りを挟んでカウンター中心の小さな一杯飲み屋が軒を連なれている。せいぜい4,5人も入れば満杯になりそうな狭さである。ガラガラと戸を引くといきなり座敷というところも。そういう店は、通路で靴を脱ぐ仕掛けになっている。丁寧に並べられた靴が印象深い。

渋谷を見たのだからと、今度は新宿に足を伸ばしてみた。そこには「おもいで横町」があった。昼の12時だというのに、すでに飲み始めている様子。ああ、人生を楽しくドロップアウトしているなと言えなくもない。渋谷も新宿も渋谷も新宿も共通するイメージは「しょんべん横町」って感じ。そういえば那覇の桜坂にも「しょんべん横町」と称される場所があった。たしかに、しょんべん臭いという印象がある。大島監督の「夏の妹」の舞台にもなっていた。その桜坂の近くには「てんぷら坂」というころもあった。細い坂道に、オキナワンてんぷら屋が並んでいたから

そのように呼ばれていた。今回は桜坂と「てんぷら坂」は縁が深いという話をする

桜坂という飲食街は、舞台で例えて言えばかっては看板女優的存在であった。

沖縄でも最大級の飲み屋街で、いつも賑わっていた。時代の返還とともに、いまは看板女優の座にはないが、それでもかつての栄光をセピア色に身を隠しつつ渋い脇役の光を放っている。桜坂が全盛期の頃、飲み客のあっちへフラフラ、こっちへフラフラおじさんたちで通りはあふれかえっていた。あの頃は「掛け金おことわり」

なんて無粋な店はなかった。飲むたびごとに書けという具合。ある程度まとまったところで支払うのが通常で、サラリーマンなどは給料日かボーナスの時に一括して支払っていたようだ。

これはボク自身が勤める某市役所で目撃したこと。給料日やボーナス日、市役所の廊下は桜坂のママさん、従業員軍団で鈴なりになった。それまでの掛けを支払って

もらうためである。店ではどちらかというと志村けんばりの白塗りママも多かったが、市役所に来る頃は昼間ということもあって、化粧はやや落とし気味ではある。

それでも安物の香水をプンプンさせていた。羽振りのいいホステスさんはマックスファクターの香水の香りであったらしい。歳の頃、平均して40歳くらいだったのでは。こちらが若かった分だけ、とっても年増に見えた。なかなか支払わない客の多いので、ここでママさんは一計を案じる。客と親しい馴染みのホステス達を引き連れて市役所を訪れる。「あなたは○○さんところ、」、「あなたは△△さんところ、」「あなたは□̻□̻さんところ、」というふうに一斉に網をかけるようにして集金が始まる。これは警察のガサ入れに近いものがある。

網をかけるというよりは、どちらかというとこの集団、鵜飼みたいなものといったらお叱りを受けそうだ。鵜を束ねるのがママさん鵜匠で、ホステスの鵜が狙った獲物に向かう。その際の餌がてんぷらである。そろいもそろっててんぷら、それも熱チコーコーのてんぷら持参している。