うちなー的沖縄
バッシュ―は
ファッションだけじゃない
時代の創成期というのは、信じられないほどおかしく面白い。
そういうことで随分と古い新聞記事を拾い読みしてみた。それは30年前のものでスポーツ記事に関するものであった。そこはインターハイ(全国総合体育大会)に関して「全員予選で失格」「女子は大敗を喫す」「郷土勢いぜん振るわず」「不振の沖縄勢」「また予選失格」「沖縄勢つぎつぎと敗退」
「一セットも取れず」というようなものであった。
とにかく負け続けている様子と、それを惜しがる沖縄の新聞記者達の様子が
うかがえる。そのちょっと前には、インターハイに向かう選手たちに対する
戦前の予想というのも載っていたので拾ってみよう。
「サッカーは沖縄では最も歴史の浅い種目である。それだけにレベルは全国的水準よりかなり低く成績の面では多くは望めない」と悲観的な見方をしている。しかしそれだけではとどまらない。「いろんな面で昨年よりよくなっている。その技術が本土で通用するかどうかとなるとかなり疑わしい」とまで言っている。なんと絶望的な予想であることか。だ
たしかに、そういう時代であった。とにかく出れば負けの時代が永らく続いた。当時で言えば、得意としていた種目はボクシングくらいなものではなかっただろうか。たしかにボクシングは強かったように覚えている。
負け続ける原因はいくつかあったはずだ。まず沖縄の地理的な環境があって他都道府県との交流時代が極端に少なかったこと。指導者がほとんどいなかったこと。せっかく全国大会に参加しても船や汽車を乗り継いでヘトヘトになったことなどが挙げられるだろう。
そういうなかにあってボクシングだけは光っていた。何故か。逆説に考えて
みよう。まず、交流試合は他都道府県よりも韓国との定期戦というものがあった。ボクシングはハングリースポーツである。その点、韓国式の肉を切らして骨を断つ式とはウマがあっているのでは。彼らがニンニクを食べるように沖縄の高校生ボクサーはゴーヤーを日常的に、それも生でかじっていた
(これ、真っ赤なウソ)本格的な指導者はいなかったが、それでも情熱はすごかった。実際に多くの世界的なチャンピオンの基礎は彼らが深く関わっている。ジャブだ、ボディーだ、ポイントを取れ! 離れろ離れろ、やれクリンチだなどという細かい指導ではなく、単刀直入でダイナミックな指導法が
高校生たちを導いていた。
「クルセー、クルセー、タタックルセー、」とセコンドからは唾が飛んでくる。クルセーとは懲らしめろ、という意味なのだが。周囲からの印象は「
殺せ、殺せ、叩き殺せ」ということになるのでは。なんともすざまじいセコンド陣の声援ではないか。相手は高校生である。「殺されるかもしれない」
と自分の人生を悲観した選手がいてもおかしくない。
さて問題は、先に線分記者から見つけたサッカー創生期の頃についてである。とにかく弱かったであろうことは記事を見ただけですぐに、それもおおいに理解できた。サッカーというよりは蹴玉という文字が馴染んでいた時代だったのかも知れない。どこの高校でやっていたわけではない。極めて特殊なスポーツとしてスタートしたことになる。予選でもとにかく参加校が少ない。
あの頃だと、たしか久場崎ハイスクールも出場していたという。この久場崎ハイスクールだが、この学校名を知っているのは地元沖縄でも半数を割り込んでいる時代にさしかかりつつある。久場崎ハイスクールとはアメリカ基地内高校のことである。幸いなことに、アメリカはサッカーは発展途上国であった。これがバスケットとなるとプロアマほどに実力の差があった。