演奏は一、二、三、はいっで始めましょうね。

 

うちなー的沖縄

演奏は一、二、三、はいっで始めましょうね。

四年前八月二十六日の夕方、那覇市内で大音響がとどろいた。

「天に響(とよ)め さんしん3000」のイベントが行われたのだ。

その年は沖縄戦が集結して50年の節目のとしであった。その区切りの

年に那覇市が中心になって企画された。三信演奏者三千人を集めての

レクイエムということであった。レクイエムとはいっても沖縄では

「かぎやで風」がなければ何事も始まらない。十曲程度あかかじめきめて

おいて、みんなで演奏しようというももだった。全曲を弾きこなしても

参加できたし、とうとう最後まで一曲もこなすことができないで歌だけの

人もいたみたい。

なにしろ三千人が演奏参加するということで、いろいろと問題はあった。

まず、それだけ収容する舞台がないし、仮に造ったにしてもとんでもない費用がかかる。そこで陸上競技場のメーンスタンドを舞台にして、観客が

グランドという仕組みを考えた。日頃はスタンドから走ったり投げたり跳んだりする選手たちを見おろすのだが、その時だけはぎ逆になった。これだと

幾らでも客席が確保できる。実際に有料入場者数二万人、それ以外に無数の

ヌギバイ(金を払わないで正式な出入り口以外からの観客)の方々が競技場

へ滝のようになだれ込んでいたとか。

次に問題になったのは演奏する決定である。なにしろ、古典音楽の全流派、

民謡の各団体、それと最高94歳を筆頭とする老人センター、小学生たちが歩調を合わせて歌えるものでなければならない。生まれて初めて三線をてにする人から、国宝級の大先生までと、その幅は広すぎだ。関心したのだが、

イベントの趣旨に賛同した各団体は事務局の安に異をはさまない。あちら立てばこちら立たずではなく、逆にみんなが総立ちという何とも理想的な状況が生まれつつあった。選挙区に関しては実にスムーズであった。

この「天に響め さんしん3000」では中心になる課題曲があった。歌詞を全国から公募して、それに対してTHE BOOMの宮沢和史さんが曲を付けるということになっていた。そして曲はできあがった。この曲に関しては

大人たちよりも、むしろ子供たちのほうが馴染んでいた。

そして最後の問題だけが残った。三千人が一斉に、どのようなきっかけで演奏を開始するかである。そして誰が中心の演奏者を務めるのかである。超ベテランだけだったら、演奏リーダーの肩の動きとか間合いみたいなもので開始できるのだが。市民会館などの大きなホールで行われる三線の大合奏でも

幕の影から合図したりするが、とにかく規模が違いすぎる。なにしろ演奏者

の最右翼と最左翼とでは百メートル以上も離れている。葬式者に関しては

那覇市役所の職員でもあるし、民謡界ではいまや押しも押されぬ存在でもあるし、それに古典音楽に秀でているということで大工哲弘さんにすんなり決定した。最後の最後の問題は、開始のきっかけだった。

時計の時報を利用して、「ピー・ピー・ピー・ピーッ」という案、演奏者全員が見える向こう側で大きな旗を振り下しという案、F1レーシング場のように信号を点滅させる案、「ドドンドンドン」と太鼓を鳴らす案、いろいろ出た。いずれも一長一短であって、思わぬところで足踏み状態になってしまった。実行委員会や事務局が悩んでいる間にも参加者の練習は順調に進んでいた。参加の動機は様々であったようだ。これをきっかけに三線を我がものとしたい、THE  BOOMと演奏してみたい、ディアマンテスやTHE  BOOMの前座を務めてみたい、ただただ三千人演奏に身を置いてみたい、などなど。すべての準備は整った。観客も、遠く仙台からきた女も子など数十人

の徹夜組ができるなど心配はなかった。最後の心配は天候であった。演奏者の中には百万円もするような三線という人もいる。

本番当日の、未だ朝も明けやらぬうちの早朝、びんしー(沖縄の神頼み道具セット)を携えがて近くの御嶽(沖縄の聖なる空間)に「雨が降りませんように」と必死に願う実行委員会事務局長のけなげな姿があった、つまり、一心不乱に祈るボクがいた。インスタント祈りはやっぱり駄目だな、と思い知らされる洋に作業開始直後に大雨降った。しかし雨はしばらくすると止み

それからは暑すぎるほどの天気を回復した。イベントが終了してしばらく再び大雨となったが、スタッフは「まるで誰かが神様に祈ったみたいな天気ですね」と言っていた。ふふ、ふふふ。

お役所的ではない千人ものスタッフ、三千人もの演奏者、それに二万人プラス「ヌギバイ」集団の最大の問題が近づいていた。さて、どのような大演奏のきっあかけをつくるかである。大工哲弘の提案で「一、二、三、はいっ」

ということになった。

いよいよである。緊張気味の大工哲弘が大ステージ中央のマイクの前で乾いていたであろう唇を舐めながら声を発した。「一、二、三、はいっ」「四」

は余計であったが、何故かしら演奏はピタリ揃っていたから不思議。