むかし、「ハイカラ湯」があった。-2

 

うちなー的沖縄

むかし、「ハイカラ湯」があった。-2

 

 最近では、台風銀座の沖縄の数倍、数十倍の台風被害というのも逆転した現象だという気がする。北上すればするほど風力は弱まっているはずなのだが、被害は甚大だという。もっとも、今年の台風は従来からの基本型ではなかった。天気図でいえば南からやってくるのではなく、やたらと右側で発生して、北向きではなく、西向きに襲来を繰り返してはいた。思わぬ方向からの台風に備えを欠いた嫌いもあったのではないだろうか。
 そういえば、730というのもあったな。「復帰」前の状態で、車がいまとは逆方向に走っていた。一つの国に二つの交通方法は認められていないということで、一夜にして右から左への交通変更がなされる訳だから大変な事業ではある。残念ながら、その歴史的な瞬間を見ることはできなかった。八重山の新城島というところにいたからだ。その島には車一台もなかったから、交通区分の変更とは無縁だった。
 さて、と。逆現象についてである。これだけ地理的にも歴史的にも離れている沖縄であるから、いろいろな事象で逆現象というのがある。その最もたるものが銭湯ではないだろうか。ユーフルヤー、つまり湯風呂屋である。何が違うかであるが、まず最初に気づいたのは沖縄ではなく東京であっやさ「神田川」ジョウータイで初めて銭湯に行った日のことらいまだに忘れない。いきなりカウンターパンチを食らってしまった。番台がないのである。少なくとも営業しているはずなのだが、どこへ入浴料を出せばいいのだ。次から次とレノンをかいぐって入浴客は中に吸い込まれていく。真似て中に入って、あっはー、と日本風呂屋と沖縄風呂屋の違いに気づいていた次第。それにしても妙である。この前向きな沖縄のに対して後ろ向きではなあいが内向きの銭湯はまずいのではないだろうか。これでは欲情を招く。客たちは恥ずかしくはないのか、などと考えていて、いったい風呂に入ったのか入っていないのか釈然としないままに出してしまった。
 あの頃のことを思い出してみることにしよう。後にテレビ番組に『時間ですよ』で見かけた裸のシーンが実際に目の前で繰り広げられていた。目の前というほどではないが、それでも金を払うとき、伏目がちにチラッと女風呂をスーミーすることになる。スーミとは覗くことなのだが、でも『時間ですよ』みたいに若い女性はいなかったような気がする。どちらかというと、人生のベテランが多かった。
 沖縄の銭湯に話を戻そう。いまや存続かわ危機的といえるほどの存在になっている。家庭にシャワーなどが完備していることもあるのだが、以前ほどの楽しみもないというか。
 私のメインのユーフルヤーは「ハイカラ湯」であった。どうだ、参ったかと言いたいほどのお洒落な名前の銭湯である。それもいまでは消えてしまった。ユーフルヤーには思い出が一杯詰まっていた。当然のことながら有料であったから、あの当時としては一年に二度、それこそ盆正月しか行かなかった。ゆえに何時間もかけて体をこすったものだ。というのは口実で実は遊び場にしていた。「ハイカラ湯」が消えて久しいのだが、嬉しいことに「ハイカラ湯通り」という愛称まで残っている。いまでもそこを通ると、ほのかに石鹸の匂いが立ち上がってくる。