栄町サミットと世界のウチナーンチュ大会。

 

うちなー的 沖縄

栄町サミットと世界のウチナーンチュ大会。
六年ぶりの「世界のウチナーンチュ大会」があった。本来は五年に一度の間隔で開催されることになっていて二〇〇〇年が第三回目の予定であったが、九州沖縄サミットの主会場が沖縄になった都合で一年延期して昨年末に開催された。一方の世界のゥエーキンチュ(金持ち)大会のサミットは一年に一度、沖縄の模合みたいなもので定期的に行われる。
 沖縄サミットも終わって、「さぁ、次は世界のウチナーンチュ大会だね」という時に、同時多発テロが発生したものだから、世界中からの参加者が激減するのではないかという心配を抱えていた。しかし世界のウチナーンチュ大会は意気軒昂であった。沖縄系は南米とアメリカが圧倒的に多い。特にアメリカは州単位で大挙して押し寄せてくる。テロ以降の、例の「USA、USA」コールを口々に国際通りをパレードしていた。
 その国際通りとは、「万国津梁の鐘」の文言を借りれば唇と歯の近さにある栄町市場の一角でも「世界のウチナーンチュ大会IN栄町市場」が静かに行われていた。
 話は後にするが、「どうも沖縄でサミットがあるみたいよと話題になった頃、栄町市場商店街復興組合の有志と酒を酌み交わしながら語ったことがある。宮古はドイツ村の縁で独首相を招くらしいよ。露のプーチン大統領は柔道が好きで具志川市らしいよ。南風原にはアイススケート場があって加首相ってよ。米英仏もほぼ決定しているらしいとワイワイやっていた。そこで一人のおっさんが、
「あいっ!イタリアはどうなっているか」と、妙なことを言い出した。よせばいいのにその時、ボクは、「イタリアはスパゲティーの国だから、ソーミンチャンプルーと似ているんじゃないかなぁ」と、無責任な発言をしてしまった。
 一同は酒の勢いも手伝っておおいに盛り上がってしまった。「よし、決定だ。」イタリアの首相を招いて、スパゲティとソーミンチャンプルーで熱く交流しよう」ということになった。誰一人としてイタリア首相の名前は知らなかったが、イタリア首相と交流は栄町以外にありえないと、四、五人のおじさん達によって緊急決議がなさなれた。そもそもソーミンチャンプルーは栄町だけの専売特許ではなく、それに那覇市の一地域の市場でという不思議な誘致決定決議だったが、実現すればそれはそれでインパクトはあったかもしれない。
 栄町とはそういうところである。大阪でいえば大正区みたいな、横浜でいえば鶴見みたいな、東京でいえば、うーん該当ナシだな。まぁ、そういう雰囲気があふれる庶民的な市場である。
 地元沖縄の人間にもあまり知られていないのだが、栄町市場は「ひめゆり会館」を中心に広がりを見せる。ひめゆりとは、そう、あの「ひめゆり学徒隊」のひめゆりである。かろうじて生き残った乙女達もいまでは立派なものおばぁになっている。そういうことも関係するのか栄町市場はおばぁ達が多い。
 沖縄で市場というと牧志公設市場が代名詞ともなっているのだが、渋さと観光客ズレしていない点では堂々たる地位を保っているのが栄町市場といえよう。この市場には、ありとあらゆるものが揃っている。沖縄を代表する泡盛居酒屋「うりずん」の食材は全て足元の栄町で賄われると聞いた。
「世界のウチナーンチュ大会」が終了して落ち着いた頃、栄町で「SUDAKA」という南米料理店を経営する艶子さんから電話をもらった。
「南米のウチナーンチュがたくさん集まるから来て」と。艶子さんは日頃から南米のこととなると、ムルカチシティティ(何もかもなげうって)動く人だから、そういうときはこちらもムルカチシティティ参加することにしている。