国際通りGメン’75

 

 

うちなー的沖縄

国際通りGメン’75

レレソー ソラシド―シード― ♪

うーうー ううう~~ ううう~~ ううう~~

憶えてるだろうか、「Gメン’75」のことを。憶えてるだろうか、丹波輝党、夏樹陽介、倉田保昭、岡本富士太、原田大二郎、藤田美保子という面々のことを。憶えているだろうか、朝露の滑走路を、「Gメン’75」のテーマ曲にのって丹波哲郎を中心に七人の刑事が横並びシテ歩いている姿を。

それまでの刑事モノをはるかに超えた国際感覚あふれる番組で、それまでのモノに比べて特別捜査班ありとかで、とにかく新鮮だった。レレソー ソラシド―シード― ♪うーうー ううう~~ ううう~~ ううう~~から三十年余りが経過した。

三十年前の沖縄は、「オキナワ」であった。難しい政治的な時代背景の話をするとそれだけでせっかくの紙面が消えてしまいそうなので割愛をするが、オキナワはいったい何処の国なのかというほど無国籍感が漂っていた。「Gメン’75」の敏腕刑事たちに負けないくらい、たとえば沖縄の税関などはレーバンのサングラスなどでキメていた。もっとキマっていたのは警察官だった。沖縄がオキナワの頃で、琉球警察といっていた。なにしろ、ここはフィリピンかと思えるくらい警察官のレーバンは定番であった。胸元の警察バッジだが、あれは絶対にジョンウェインなどの西武保安官と同じような大きなバッジだった。「沖縄もそろそろ施政権がアメリカから日本に変わるから、警視庁に出張して研修してきなさい」、と時の琉球警察局長が現場勤務の若い警察官に命じたことだろう。その結果、選抜された数名の若き警察官たちが熱き使命感を帯びて、琉球海運の東京直行便のひめゆり丸に乗り込んだ時に一九七一年、花のお江戸は桜吹雪の春の宵。知念保を初めとする研修生一行は晴海ふ頭から花の第四機動隊のバスに乗せられて桜田門の警視庁入り口に到着した。当時としては珍しい沖縄からの客人である。警視庁では総力で県芸の意をあらわすべく、お堀あたりから桜田門まで堵列で彼らを迎えた。バスから次々と降りてくる琉球警察の精鋭たちの誰もが濃いオジサンジラー(面)にレーバンなのだが、歳は明らかに二十歳そこらである。彼らは精鋭らしく、「小さな前ならい」をした後に敬礼を知る。彼らを迎えた警視庁側は一様に青ざめてしまった。震撼したといってもいいのかもしれない。一行は20代の巡査だけと聞いていたのだが、目の前に並んでいるのは若いのだが全てが警部ではないか。それは階級章を見れば一目瞭然であった。

なんということでしょう、琉球警察の巡査の階級章と日本警察の警部の階級章がほとんど同じだったということはいろいろな混乱を招いたことだろう。

ところで、今回の100号の「うちなー的沖縄」は警察官のはなしではなく、人間国宝がテーマであった。