一九七八年七月三十日午前0時の大混乱。-2

 

うちなー的沖縄

一九七八年七月三十日午前0時の大混乱。-2

新車になったのはよかったが、案の定というか、やはり心配された事故が起こった。それまでの慣れというのは一夜にしては克服できなかったようだ。カーブを曲がれずに畑に落ちてしまった。翌日の新聞にも大々的に載っていたが、運転手が照れくさそうにコメントしていたのが印象として残る。

困ったのは車だけではなかった。商売人もおおいに困った。なにしろいきなりである。それまでの場所で培ってきた常連客との関係が一夜にして崩れる。例をあげるとすれば、一番に大きかったのは釣具屋であろうか。伊具屋を利用する人は、釣りの途中で店を利用する。ということは、おのずと海に向かう側でなければならない。ところが730ということで店舗を逆に移動させることはできない。それまでが海に向かっていたのが、それ以降は海から帰る時に釣具屋さんに行くことになってしまったことになる。他にもある。最近、那覇のフェースとフード店の事始めについて書いたことがある。そこでは「福々饅頭」というのを取り上げだ。高良さんという夫婦が、那覇の牧志というところで饅頭屋をやっていた。当時としては、テイクアウトもできるということだ超人気店だった。なにしろホカホカである。冬場などは、家の子どもたちの鵜関二兆方式だために饅頭を懐に入れて大事そうに持ち帰る。饅頭も冷めないし、自分も暖まるというい一石二鳥方式だった。持ち帰ると言えば、アイスケーキの出始めのことだが、やはり子どもたちに食べさせようと持ち帰ったお父さんがいた。子どもたちは歓声を上げて喜ぶだろうな、などと路地を急ぐ優しいお父さん。時間をかけて持ち帰ったのはアイスケーキを刺す割りばしだという悲劇もある。おとうさんはひどくがっかりしたが、そもそもアイスケーキの実態を知らない子どもたちは、割り箸にほのかに残ったサッカリンの甘みを味わったという。

話が最近の沖縄における台風のように大きく逸れた。

饅頭屋も730でお店をたたむことになったという。いろいろなところに影響があったが、最大の恩恵を受けたのは自動車メーカーであったはずで、最大の被害者は庶民であった。