ROLEXはアームバンド代だった。

 

 

うちなー的沖縄

ROLEXはアームバンド代だった。

アジア全体、あるいは世界中の経済が元気を失っている。バイアグラを次々と投入しても効き目がないほどに深刻ではある。沖縄のメーン通りではある国際通りを歩く沖縄の人間も、約1度ないし2度ほど下向きかげんのように見受けられる。

しかし、そういう中にあって、声を張り上げて、声を張り上げて濶歩する集団がいる。台湾からの人々だ。

ひとり台湾だけがすこぶる元気みたいである。

それにしても不思議な集団である。何もあんなにまで大きな声を出さなくても会話できそうなものだが、とにかく声がでかい。スクランブル交差点で大きな声を出さなくても会話できそうなものだが、とにかく声がでかい。スクランブル交差点で彼らと遭遇しようものなら、たちまちにしてミキサーに放り込まれた果物のような状態にされてしまう。それほどまれにパワーが満ちみれている。

台湾の首都である台北で、「なるほど、そうだったのか」というようなシーンを見かけたことがある。それは夜市でのことだったのだが、人々の食事にかけるエネルギーを目の当たりにした。どうしても下手物としか理解しようのない食材のデモンストレーションに人だかりだった。その脇では、すさまじいばかりの勢いで夜食を胃袋に流し込んでいた。それが若い人ならともかく、かなりの年配のおばあちゃんだっただけに、いよいよ迫力があった。そうかぁ、あの湧き出るようなエネルギー源は食事だったのか。

その台湾からの沖縄への観光客が再び増えている。昨年だと、十四万二千人が訪れたという。七、八年前だと十五万人を超えていた。減った理由は、ショッピング観光からリゾート観光への変わり目ということなのだろう。「恋をしたら沖縄へ」

というのはどこかの国の航空会社のキャッチコピーだったのだが、台湾でも同じバージョンがあるのでは。

以前がと、確かに台湾からのショッピング観光が目立っていた。那覇空港の国際ターミナルに積まれた団体客の荷は、飛行機がこれらの荷を載せて、はたして飛べるのだろうかと心配するほどに積まれていた。全員がりんご箱、全員が電化製品。

全員が「運び屋」だんではと思えるほどだった。

那覇市内でも幾つかの台湾料理店がある。ラーメン中心のとってつけたような中華料理店ではなく、明確に台湾料理と銘打っているだけに、料金は手頃ながらかなりのものだ。そもそも素材から違う。素材は野菜にいたるまで台湾から運んででくるという。店の馴染みの「運び屋」さんが店まで戸口配達をする。船舶や航空機を使って運ぶわけだが、帰れは当然のことながら、同じように沖縄から台湾まで「物」

を運ぶことになる。

中近東あたりから日本に石油を運ぶタンカーだと片道だけの荷を載せるのだが、

台湾「タンカー」は合理的な運航をしていることになる。バイアグラいらずの台湾の元気さが、ここらあたりにもうかがえる。

運び屋で思いだしたことがある。

全国紙新聞の片隅に小さな記事が載っていた。沖縄が本土に「復帰」する直前の頃だったと記憶しているので、おそらくは七0年か七一年あたりだったのだろう。その記事とは、沖縄出身の学生が、羽田空港でふらついているところを逮捕されたというものであった。シンナーや大トラの銘酊状態で逮捕されたわけではない。ある重いものを身体に隠し込んでいて捕まっていた。それが何かというと、金の延べ棒でった。細工されたチョッキか何かに延べ棒数十本が隠されていて、そのために見つかってしまったわけだ。

デューテーフリーで売られている「金の延べ棒風チョコレート」しか知らないので、本物の金の延べ棒が一本あたりの程度の重量なのかはとんと想像もつかない